遠征もろもろ

遠征レポート(まじめ)は別に記します。

ここ数年、海外遠征といえばムラコシさんが一緒の日程で付き合ってくれましたが、今回は同じ飯能人、善徳君が最初から最後まで一緒。らくちんでした、ありがとうございました。めったにないだろう現地の病院にも行ってフィンランドの病院システム拝見したし。いやー、海外の病院のシステムいいですよ(このお話はまた別に)。英語がなかなか伝わらなかったなあ。だけど人のありがたみをしみじみと頂いた時間でした。

 

ということで何事もなく出国、無事現地着、帰国、無くし物もなし、そしてそのまま会社直行。

老犬ちゃちゃ丸は相変わらずふらふらだが元気、しかし父方のばあさんは3日前に亡くなってすでに葬儀も済んでました。同じ飯能市内、よくマラニックをでかける吾野集落にばあさんちはあります。いやしかし101歳とは大往生でしょう。母は遠征中の私にはあえて知らせなかったようです。無駄に心配させる必要もないし緊急帰国するほどでもないと。遠征を多く重ねていくと、こういうことは起きると覚悟はしていましたが、本当に起こるものなのですね。父も母もちゃちゃ丸も歳を取ってきているし、海外にいる私がテロとか事故にあう可能性もある。今後は海外の連絡先をきちんと伝え、こちらからも滞在中に少しは連絡をしようと思いました(今回はフィンランドから帰国前に一度電話しただけでそのときに知りました)。

 

さて、ワールドカップもフィンランドトレーニングも体調は今ひとつ、花粉症の症状はどういうわけかひどくなり、どのレースでも途中から頭痛を抱えて走っていました。ただ最初の15-20分でも、すべてのレースでがつがつ追い込んで積極的にレースを進めようとしていたしできていたこと、結果は出なくても期待が持てるレッグラップタイムを出すことができていたのは評価したいと思います。今の状況でそこそこにまとめたレースをしても先は見えてこないし、あえて今回の遠征目標はそこにターゲットを置いていなかったこともあります。

 

リレー1走の15分間、第2集団の後ろについて走れたこと、スプリント予選ではブローニ(スイスチーム、2001年世界選手権スプリントチャンピオン)と同スタートで1kmは同じペースで走れていたことが収穫です。ミドルも途中途中大きなミスをしてしまったけれど、きちんといけているレッグは遅くない。

イーキスとも話をしたけれど今回はフィジカルの部分での問題がとても大きく、それがレースに出てしまいマップコンタクトへの集中力にも影響を与えていました。

 

そんなコンディションに自分でもとても嫌気がしていたので、帰国したらすぐに病院へ直行することをさっさと決めました。1ヶ月近くも体調不良が続き、自分の頭の中でその原因を想像しそれで終始したり逃げ道にするのはイヤ、性格的にももやもやしたままいるのはきっと耐えられないし。

なので今日はさっそく朝から病院をはしご(昨日成田から会社に直行したのに今日は今朝から半休。どうなの、それ。でも私らしい)。

 

いまさらながら耳鼻科の病院に出向き、『普段からどちらかの鼻が必ず詰まっていて苦しくてつらいし走るのもつらいんですよぅ』と切実に訴え(とりあえずアレルギー性鼻炎ということに、つまらん)薬をもらってきた。

次は血液検査。レース中に頭痛がするということは頭に酸素がいっていないということだから貧血は考えられる。ここ数年検査していないのでするべしべしと、内科の病院に出向き、『最近頭痛がして走っている間つらいんですー、貧血っぽいような。血液検査お願いしたいんですが』と言って採血。明日午後には結果がでるのであります。

 

原因がどこにあるかわからないし、アレルギーや貧血のせいじゃないかもしれない。だけどこうやって検査をしたり何かをすることの行為そのものがが不安をやわらげ次へのステップに導いてくれるはずです。

 

さー、今日からジムでトレーニング再開。

同僚たちからは『痩せた?』と言われたのだけれど(スウェーデンのときは太った?だったのにー)、ヤツレタというのが正しいかしら。

 

疲れを取りながら軽くやろう。そして工夫したメニューを作ってやっていこう。