海外遠征記録

1990 7-8 第1回スウェーデンジュニア世界選手権 1ヶ月遠征(O-ringen,エステヨーテ大会、ノルウェー、フィンランド観光)

(1992年就職)

1994 12-,1995 1 APOCニュージーランド 2週間

1995.7 ドイツ世界選手権 2週間

1996.7-9 ハンガリーユニバーオフィシャル、ワールドカップinスウェーデン・ノルウェー・スイス 1ヶ月

(直前に会社を辞め、その後3シーズン菅平の白樺荘で生活&労働ー人生ロングバケーションに入る)

1997.7 ノルウェー世界選手権オフィシャル デンマーク、スウェーデン大会参加 1ヶ月

1998.4-6 イースター3daysin オーストラリア その後シドニー、クライストチャーチ(N.Z)で約2ヶ月のんびり生活

1998.9-10 ワールドカップin スロバキア、エストニア、フィンランド 3週間

(1999年2月から飯能へ戻り地元の小さな会社で仕事)

1999 スコットランド世界選手権(ノルウェー&イギリス初トレッキング)3週間

(2000年6月より現在の派遣先でまじめに仕事を再開)

2001.7 フィンランド世界選手権 2週間

2003.8 スイス世界選手権 3週間

2004.9 スウェーデン世界選手権 3週間

2004.11 韓国お気楽遠征 4日

2005 4-5 イギリスワールドカップ遠征、フィンランドでトレーニング&レース 10日間

 

振り返ってみるとこんなに遠征していたのかと思うものの、1999年以降は世界選手権のみの遠征で前年のトレーニングキャンプも参加していない。お金がつきてしまったということもあるが、スコットランド以降は競技に関してシビアに考え、世界選手権で活躍できる準備をきちんとしてから、本戦で闘いたいと考えたため。私が競技者として本気でオリエンテーリングに取り組むようになったのは2000年夏以降なのである。

 

それまでなんとなく遠征し、機会があるなら代表で走ってみたいとか、トレーニングにしても目標にしてもあいまいなままで遠征をしていた。それくらいの女子レベルであったとも言える。でもそれではいつまでたっても世界で活躍することはできず夢は夢で終わってしまう、と準備がままならないまま参加してしまったスコットランドで思い知ったのだった。それと当時の私のレベルなら世界選手権のための準備は国内でも工夫してやれば十分可能だと考えたこと、その年の年末に来日した世界チャンピオンのビヨルナー・バルスタッドとハンネ・スタッフが競技へのCommitmentについての話をしてくれ、大きな影響を受けたこともある。

 

ワールドカップへの参加は2000年の日本戦からしても5年ぶりだし海外では実に7年ぶりだ。ワールドカップの開催も来年以降続くかどうかがわからないが、私にとっては最後のワールドカップ参加となるだろう。

 

なぜ今回参加するかといえば、経験を積むとかシビアな環境の中でレースをするとか世界のトップとの差がどれくらいかを見るとかそういうのはもう十分でそうではなく、ずばりリレー1走をの機会を得て試すためが一番の大きな動機。そしてミドルで積極的にレースをしていくこと。

 

こんなに遠征をしていても世界戦でリレー1走をやったことが一度もない。自分でも向いてないのではと思っていたし、国内にしても海外にしてもアンカーをするのがほとんどで、周りもなんとなくそう思っていたのかもしれない。

が昨年、スウェーデンでのトレキャン中にリレートレーニングをしていた最中に、もしかして自分は1走に向いているんじゃないかとふと気づいた。そのことをムラコシコーチに言うとそのとおりという答えが返ってきた。

今回は、一斉にスタートして、集団の中でどれくらい走れるか、離されてしまうか、選手の動きはどんなか、自分はどうレースを進めていくか。とにかく経験をして本戦に活かしたい。

 

結果的に愛知で1走をすることがなくなっても、その準備は他の走順に十分活かすことができるし、自分が1走をやろうと準備をすることで他の選手に刺激を与えられるはずだ。

 

『チームにとって自分は何ができるか?』この問いかけに去年のスウェーデン前は明確な答えを見つけることができなかったが、今ならきちんと答えを出すことができる。

 

いよいよ明日イギリスに向けて出発。